この仕事の記録

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この仕事の記録

出演者が自分の仕事について語った言葉を、時系列に置き直す

翔田千里 — 長くいるべきじゃないと思いながら、20年

2か月目に長くはいられないと思い、20年続けている。辞めた先に裏方を置こうとして、用意されなかった。

この仕事を始めて2か月目に、翔田千里は2つのことを同時に思っている。ひとつは、これがやりたかったということ。

私がこの業界に入ったのはこれがしたかった

もうひとつは、その逆である。

でも長くはいちゃいけない業界だなっていうのはなんとなくぼやーと思ってて

どちらも2005年の話で、本人が2025年に振り返って言っている。2005年9月、始めて2か月目のことである。

それから20年、この人はこの業界にいる。あいだに何度も止まり、引退として実行したこともある。戻ってきたのも本人が決めている。ただし戻った先は、女優だけではなかった。

入り口は求人誌だった

会社を辞めたのは2004年、34歳のときである。理由は仕事の中身ではなく生活の側にあった。

「息子が小学校に入学するタイミングで、前職は辞めたんですよ。シングルマザーで正社員だと、なかなか学校行事に参加できないので」

18歳からの勤め先は人材派遣会社で、そこでマネージャーをしていた。辞めたあとに目指したのは、この業界ではない。

ケアマネージャーの資格を取ろうって言って通ってた時期ですね

学校に通っていたその年に、友人が渋谷でスカウトされる。友人のほうが先に始め、初めての現場の前日に食事をして話を聞いた。そこで興味を持ち、自分は求人誌でプロダクションの広告を見て応募している。スカウトされたのではなく、自分で連絡したということである。

面接で会ったのが女性の社長だった。本人はこれを決め手として挙げている。

女の子の人生を預かる仕事の社長が女性で

そこで言われたのが、この記事の外でも繰り返し語られている一言である。

「『1本だけ体験して、イヤだったら辞めればいい』みたいなノリだったんですよ」

辞める余地を残したまま入っている。

入り口では年齢が問題になった。

「実は初めて作品を撮ってもらったのは35歳のときなんですよ。もちろん、それでも遅い部類なんですけど、私が入った当時は熟女系の女優さんは40代が主流だったので、逆サバを読むことになって。37歳としてデビューしました」

実年齢より2歳上として紹介されている。年齢を下げるのではなく、上げる調整が要る場所だった。誕生日についても、2025年の動画でこう述べている。

一応事務所が設定した誕生日ってのはあるんですけど

事務所が設定した誕生日が別にある、ということである。ただし本人はこの直後に自分の生まれた年月を言っており、そこは各媒体で公表されている年齢と食い違わない。どの部分が設定値なのかまでは述べていない。

最初の2か月に、両方あった

2005年8月に業界入りし、その月のうちに最初の現場が入っている。本人の説明では、最初の1本は別名義で、翔田千里としてのデビュー作も同じ8月である。どちらもドキュメンタリーだった。

「撮影って、もっとお芝居をするものだと思っていたんですよ」

芝居の仕事として入ってきたので、想定と違った。ただし、この人が語る転機は落胆のほうではない。そのあとの現場で嫌な思いをしている。

なんでこんなこと言われなきゃいけないんだろうと思って 仕事に火がついた瞬間でした

そして9月、2日がかりで台本のあるドラマを撮る。そこで冒頭の一言が出てくる。これがやりたかった、と。

同じ時期に、長くはいられない場所だとも思っている。ただし本人はそれを決意としては語っていない。「なんとなくぼやーと」思っていた、という言い方である。火がついたのと、長くはいられないとぼんやり思ったのが、同じ2か月のなかで起きている。20年後にこの人がまだここにいるのは、その両方を抱えたままだからである。

立ち止まり癖

評価は早い。デビュー翌年の2006年に第1回熟女クイーンコンテストでグランプリ、2007年3月には日本アダルト放送大賞の熟女女優賞を受けている。

その年の末に、いったん止めた。自ら志願して出た作品のあとだった。

「『やりたかったことはやりきっちゃった』と、燃え尽き症候群になってしまいました」

志願したのも、やりきったと判断したのも本人である。数か月で戻っている。復帰の時期は出典で割れていて、本人は2008年3月、共演作のオファーがきっかけだったと言い、報道は同年5月の復帰宣言を伝えている。

以降も進退は動いている。2010年に病気で映像の仕事から引退し、翌年復帰。2015年8月に完全に引退し、2017年に復帰している。2024年6月には雑誌の取材で翌年夏の引退を公言したが、2025年3月に撤回を宣言した。

本人はこの繰り返しに名前をつけている。年表を書きながら、自分でそう言っている。

意外とちゃんと立ち止まってまたどうしようかなみたいなこの先っていうなんか意外とその立ち止まり癖があるっていう

同じ年表シリーズで、自分の性格についてこうも言っている。

自分でリーダーシップ取って何かをやっていくっていうのはなくって、ただ決断力はきっとあるから

引っ張るほうではないが、決めるほうではある、という自己認識である。20年ぶんの進退は、たしかにそういう形をしている。

辞めた先にあったもの

2015年8月の引退は、完全引退だった。理由を本人が説明している。辞めて何もしないためではない。

事務所のマネージャーになる、事務所の社員になる

元の勤め先で人材派遣のマネージャーをしていた人が、同じ職種でこの業界に入り直そうとした、ということである。しかもそれは突然の希望ではなかった。

10年で業界やめるぞ、女優やめるぞっていうのはもう宣言してて、会社のみんなも認知してて

10年で女優を辞めて社員になる、という予定を立て、会社にも伝えたうえで活動していた。そして10年が来た。

ところが会社から提示されたのは、希望していた職種ではなく、まったく別の業界の仕事だった。

それはちょっとやりたいことではないつって

断り、そのまま業界を離れている。予定していた辞め方が成立しなかったので、辞めるほうだけが実行された形である。

戻るのは2017年5月。引退後の女優を取り上げる取材の依頼が、以前から知っていた人物から来た。その人はちょうど独立して事務所を立ち上げたところで、彼女がマネージャーをやりたがっていたことを知っていた。取材の場で誘われ、マネージャーとして復帰している。

女優としての復帰は、そのあとに付いてきた。マネージャーとして現場に行けば気づかれる。それならこれまで世話になったメーカーに挨拶をしよう、ということになり、1社につき1本出る、という条件で戻った。

2018年3月からは AD もやっている。本人の総括はこうである。

現場が好きで物作りが好きで裏方が希望っていうのがなんとなく透けてきてくれるかな

マネージャーと女優とADってこの3つ

2017年に戻ってからの期間が、20年でいちばん長い連続活動になっている。年表を見ながら本人がそう言っている。

私2017年に業界復帰して、今2025年だから、今1番女優活動を長く続けてるっていうのがここですね

冒頭に置いた「長くはいちゃいけない業界」は、この人の場合、業界を出ることを意味していなかった。辞める先に裏方を置こうとして、それが用意されなかった。戻ってきたときに、それが用意された。

決める側に当事者がいるか

現場の変化については、当事者として具体的に語っている。

「性病検査が義務づけられるようになったり、契約書が交付されたり、ちゃんとした業界になってきた」

「女優さんが『そんな話は聞いてなかったんだけど』ということが、ほとんどなくなりました」

聞いていない条件で撮影が始まることが、かつてはあった。それが減ったという話である。業界の担い手については、こうも言っている。

「『クリエイター』から『ビジネスパーソン』になってきている」

2022年7月、いわゆる AV 新法の改正を求める署名活動では、発起人の一人になっている。このときの発言は次のものである。

「適正AVという枠組みができて、女優が安心安全第一に性表現ができるようになりました。ところが現在の実務者に対するヒアリングがいっさいないまま、あっさり立法化されてしまった。違和感がありますね。職業差別、セクシャルな表現に対する差別、さらには労働者としての権利までもが剥奪されたと感じています」

自分の進退を自分で決めてきた人が、自分たちの働き方を決める場に当事者がいないと言っている。マネージャーと AD を兼ねてきた人の言い分でもある。

配信記録から見えること

以下は FANZA の配信記録の集計である。商品が配信された記録であって、活動そのものではない。読み方は末尾に記す。

12002006 1 本20062007 24 本2008 46 本2009 69 本2010 30 本20102011 14 本2012 66 本20122013 69 本2014 87 本20142015 87 本2016 40 本20162017 34 本2018 83 本20182019 87 本2020 73 本20202021 73 本2022 120 本20222023 99 本2024 80 本20242025 98 本2026 74 本
翔田千里:作品数の推移(年別)

カタログに載っている出演は2,035本ある。そのうち配信日が記録されているのは1,354本で、2006年12月から2026年10月までにわたる。残る681本は、日付が無いか、旧作を高画質化して配信し直したものである。図に出ているのは1,354本のほうだけだ。

セレブの友セレブの友 2012-10-21〜2026-08-22 207 本207 本マドンナマドンナ 2007-03-23〜2019-06-22 166 本166 本グローバルメディアエンタ…グローバルメディアエンタ… 2006-12-31〜2026-09-19 129 本129 本TAMEIKETAMEIKE 2007-03-13〜2015-12-06 91 本91 本なでしこなでしこ 2014-10-24〜2026-06-20 89 本89 本VENUSVENUS 2009-06-01〜2026-07-03 76 本76 本タカラ映像タカラ映像 2014-02-13〜2026-02-07 67 本67 本JUKUJO99JUKUJO99 2022-07-15〜2026-09-09 67 本67 本20062026
翔田千里:メーカー別の期間と本数(上位 8 社)

期間の帯がいくつも重なっている。特定のメーカーに留まらず、多数と並行して仕事をしてきたということである。1社1本の挨拶として戻った人の記録が、こうなっている。

翔田千里:レビュー評価の高い作品(5 件)
配信日タイトル評価件数
2022-09-10お義母さん、にょっ女房よりずっといいよ… 翔田千里 ALDN-0605.010
2022-10-22中出し人妻不倫旅行 翔田千里5.07
2025-05-24熟女を好きになったあの時 翔田千里5.06
2022-10-22人妻不倫旅行 昼顔 アナタが私を本気にさせた… 翔田千里5.06
2022-10-22人妻不倫旅行 夜顔 美魔女が魅せる色気・艶肌・気品!! 翔田千里5.06

現在

2025年8月24日に20周年記念イベントを開催。同年、写真集『rencontre』を刊行している。2026年6月にはファンクラブ「And you」を開設した。

「日常の自分、ファンの皆さんとより深くコミュニケーションを取れる場にしたいです」

X は @chisato_shoda。所属はリズムプロモーション。

数字についての断り

20年目

「1本だけ体験して、イヤだったら辞めればいい」と言って始めた仕事の配信記録が、2026年10月まで伸びている。

そのあいだに、10年で辞めて社員になる予定を立て、実行し、望んだ職が用意されなかったので業界を出て、2年後にマネージャーとして戻り、挨拶のつもりで女優にも戻り、いまも3つの立場を行き来している。

辞めると言ったのも、続けると言ったのも、20年を通してこの人自身だった。

なお、この記事が引いた本人の言葉の多くは、本人が2025年に自分のチャンネルで年表を書きながら話したものである。なぜそれをやるのかも、本人が冒頭で述べている。

媒体とかだったら媒体買わなきゃいけないし、買ってる人しか見ないんだけど

いい加減なことは言えないなと思って

残る場所に置くから、いい加減なことは言えない。20年ぶんの記録をそうやって自分で作っている。

出典